「行って……しまうんですね」
セントレアの受付前、遠野美凪と、国崎往人が向かい合っていた。
往人の足元には旅行かばんが寝そべっている。さらに手元にはパスポートと旅券。どうやら往人は外国に行くらしい。
「あぁ、仕方ないんだ」
そういって、未練を断ち切るようにして、かばんを持ち上げようとする。
「また……何処かに行ってしまうんですね」
かばんを持ち上げようとした往人の手を、美凪が両手で包んだ。
美凪の声は泣いていた。
さらに投げつけるように言葉をつなげていく。
「あの日のように、また私を置いていってしまうのですね!」

あの日

みちるが、空に帰った日
往人が、空にいる少女を探しに出かけると決めた日
美凪が、夢から完全に覚めると決断した日

あの日から何年か過ぎ去ったころだった、往人は夢の中で、もう存在しないみちるにであった。
「もういいよ、女の子を捜すのをやめても。遠野の近くに居てあげて。女の子はもう大丈夫だから」
みちるは夢の中でそう言った。
最初、往人は信じられなかった。突然、今までの人生をかけて探してきた少女を探さなくても言いといわれたこと。夢の中とはいえ、みちるが自分の目の前に現れたこと。
しかし、その日から毎日同じ夢を見た、もういいよ、遠野のそばに居てあげて。夢の中のみちるの目は真剣だった。夢は冗談ではなかった。
往人は悩んだ、本当にいいのか? 確かに美凪のそばには居たい、大切な人のそばに居られればこれ以上の幸せはない。しかし、空にいる少女はどうなる?本当に探さなくていいのか?本当にもう大丈夫なのか?
自問自答は、往人にとって無限に続くかと思われた。朝も、昼も、夜も、24時間そのことを考えない時間はなかった、時にはご飯を食べるのも忘れてしまうほどに。
その間も、毎晩みちるは夢に現れ、同じ言葉を繰り返した。もういいよ、遠野のそばに居てあげて……と。

もう何日すぎたか、往人が分からなくなっていた。考え疲れてベンチで空を見上げていたときだった。
不意に怒鳴り声が聞こえた、懐かしい声だった。
「なにやってるんだ!!国崎往人!!遠野を悲しませるな!!」
正面を向きなおすと、そこにはみちるがいた。全身を使って怒っていた。
しかし、その姿は頼りなく、今にも落ち葉のように、風邪に飛ばされてしまいそうだと、往人は感じた。
「また、少しの間だけ羽を貸してもらったのだ。国崎往人にガッツをつけるために」
みちるの浮かべた太陽のような精一杯の笑顔は、物凄く悲しかった。
「美凪は……待っているよ」
往人は固まった。周りの空気が固まった為に動けないかのように。みちるの一言は重かった。
「女の子はもう大丈夫。ほとんど地上に戻りかけてる。私の姿が証拠」
みちるの存在は、徐々に薄れてきていた。
「女の子の羽の力は、女の子が高く飛ぶほどに強くなる。逆に地上に近づけば近づくほど、弱くなる。そして、私の存在は女の子の羽の力で強くも弱くもなる」
往人は確信した、空に居る少女は確かに地上に戻りかけていると、もう美凪の元に戻ってもいいと。
ふと視線を空に移した、見知らぬ少女がにこやかに笑いかけてきた気がした。彼女が空にいる少女だと感じた。視線を地上に戻す、みちるの姿はすでに無かった。

それから、往人は大急ぎで戻った。思い出の街。もう電車はこないけれど駅がある街。みちると分かれた街。美凪と分かれた街。
そして、
美凪が待っている街へと。
美凪は暖かく迎えてくれた、私の前にもみちるが現れたんですよと言った。空にいる女の子はもう大丈夫、とも言った。往人は聞いた、なぜそういえると、美凪は言ったみちるは嘘をつきませんからと。
それからの生活は充実したものだった。安定した仕事も見つけた。温かい家庭も手に入った。
この生活がこれから死ぬまで続くのだと思っていた矢先だった。今回の事が起こったのは

「美凪、わかってくれ」
空いている手をさらに上に重ねる。
「どうしても行かなきゃならないんだ」
美凪はさらに力をこめる。絶対に話さない、その針のように細い指から美凪の気持ちが伝わってきた。
「せっかく帰ってきたのに、離れ離れになるなんていや!!」
だんだんと力が強くなってくる。すでに往人の腕にはくっきりと手形が残っていた。
「そんな事言ったって……」
「絶対にいやです」
「そんな事いっても、美凪、往人さんは出張に言ってくるだけなのよ?」
二人の横から声が割り込む。美凪の母だった。
ふっと美凪の腕から力が抜ける。そしていつもの無表情に戻る。
「……知ってますよ?」
あっけらかんとした声で言い放つ。
「でも、一回でいいからやってみたいじゃないですか。空港でのお別れシーン」
可愛いと思っているのか、顔を三十度ほど傾ける。
「はぁー」
往人は疲れきっていた、旅に出る前に。
「おまえはドラマの見すぎだ!言ってくる」
言い放つと、かばんを持ち上げ金属探知機の待つゲートへと向かう。
「……いってらっしゃい。早く帰ってきてくださいね。もちろんお土産も忘れずに」
さっきまでとは打って変わって、元気いっぱいに両手を振る美凪と、美凪の母。
これから先も、この二人に振り回されるのかと思うと、うれしさ半分、苦労半分の往人の心境であった。