雪うさぎの少女たち 最終章
「あ……」
深雪の声。 ぬいぐるみを胸に抱いたままの格好でしまったというような表情を浮かべてる。
「どうした?」
深雪のいきなりの変化に祐一は戸惑って深雪の顔を覗き込んだ。
少し怯えた表情を浮かべている。
何に怯えているのだろうか?と訝ったのと同時にゲームセンターの自動ドアが開いた。
深雪の視線はそちらの方にくぎ付けになっていた。
その視線を追いかける。
緩やかなウェーブのかかった髪で顔を隠して入ってくる少女がみえた。
祐一の通っている学校と同じ制服だ。
それは見知った相手だった。
「香里……」
漠然とした思いで、うめく。
足取りはどこかずかずかとしたもので、おおよそ彼女らしくなかった。
祐一の目の前で足を止める。
顔を上げる。
目には涙が浮かんでいた。
香里。美坂香里――
心の中で祐一は反芻する。
自分は今までこんな香里の表情を見たことがあったのだろうか?
思い当たる事もない。そんな彼女に祐一はたじろいだ。
「相沢君ね?」
――念のために聞いて置くけれど――
その瞳からはそんな言葉が込められているように思えた。
「香里…………」
頷くかわりに相手の名前を呟いていた。
香里は頷いて腕を振り上げ、深雪は思わず体をすくませる。
祐一は避けるでもなく、ただじっと香里を見つめていた。
ぱんっ!
子気味のいい、乾いた音が店内の騒音に飲み込まれる。
「相沢君……あなた、ここで、誰と、何をしてるの?」
一句一句区切りながら、香里は涙にぬれた声で叫んだ。呆然とそんな彼女を見つめるしかなかった。
だが何かがわかりかけてくるような気がする。
その罵声が――その内容がというわけではないが――霧を晴らすような錯覚に陥るような、そんな気がする。
「祐一さんは」
「あなたは黙ってて!」
口をはさみかけた深雪に、底冷えのする声音でぴしゃりと告げる。
「相沢君は名雪のことどう思っているの? もう、名雪は過去の人だっていうの?」
「名雪……俺は……」
「祐一さん。今さっきまで外に名雪がいました」
うなだれるような声に祐一は振り向いた。
深雪。
「相沢君。どうなの……?」
「名雪はどっちにいったんだ?」
問いかけを無視して、祐一は詰問口調に聞き返した。
今、追いかけなければならないとどこかで警鐘がなる。
「…………」
香里は黙っていた。
「あっちのほう……」
深雪はそういって指差した。
即座に祐一はゲームセンターを飛び出した。
罪悪感。恐れ。尊敬。なくてはならないもの。大事なものだということが稀薄になってしまった。愛。気付かなかったもの。歩み寄れなかった壁。そういったもの、それ以外のものも含めて全て。その全てが――
溝となることもあったが、だが名雪を愛していたということなのだ。
「それを知っていて相沢君をたぶらかしたの?」
「違います」
「それじゃぁ……」
「わたしは、祐一さんに気づいて欲しかったんです。ちゃんと、祐一さんにとって名雪はどんな存在を気づいて欲しかったんです」
どこか遠い目をしながら、深雪はうめいた。
「あなた……」
深雪は少し半泣きになった顔で、雪うさぎのぬいぐるみを香里に押し付けるように手渡した。
「あなた、誰なの?」
「名雪に、『深雪がよろしく』っていえば分かると思うよ」
自信なさ気にいう深雪を値踏みする。
少なくとも、信じてあげられるだけのものはあるようには見えた。
「多分、分かるはず。秋子おばさんは絶対覚えてくれているはずだから」
「…………」
「わたし、名乗ってなかったね。わたしは水無瀬深雪。初めてあなたに会えたけど、多分これでお別れだね……」
「どういう――」
どういう意味なの?
そうきこうとして言葉に詰まる。
深雪の辛そうな顔を見て。
「名雪と、祐一さんに良くしてくれているお友達だったから、仲良くしたかった。もっと良い出会いがしたかったね」
一呼吸分間を空けて、深雪は続けた。
「さようなら。美坂香里さん」
そう告げると同時に、深雪の姿が一瞬にして消えうせた。
慌てて周囲を見回す。
深雪の姿は見当たらなかった。祐一ももうここにはいない。
夢だったのだろうか?
夢……
「夢でも妄想でもないわね……」
祐一をひっぱたいた感触をもてあそぶように手のひらを開いたり握ったりを繰り返して、香里は名雪の家にいくことを決意した。
名雪! どこだ、どこにいる……名雪!
胸の中で叫びながら祐一は名雪を追いかけていた。どこにいるのかすら分からない。
見つからない。見つけなくてはならない。
探して見つけ出さなければならない。
もう一度、名雪にあって名雪に謝らなくてはならない。
焦燥感、混乱、恐怖、怖れ、愛情……。だが確信はある。
「名雪――」
水瀬家に戻る。
ほんの数日空けていたはずの家なのに、凄く懐かしい。
「あら、祐一さん、お帰りなさい」
「秋子さん! 名雪……名雪はどこにいるか知りませんか!?」
「まだ帰ってきていませんけど」
「そうですか、いってきます!」
秋子さんの言葉をきくなり祐一は水瀬家を飛び出した。
「いってらっしゃい」
そんないつも通りの秋子さんの声を背に受けながら。
名雪は家にもいなかった。
ならどこにいるというんだ……
放浪しているのかもしれない。
この薄暗い中、ひとりで……?
「名雪……!」
探す。
どこにいるかすら分からない。
分からない。どこにいるのかすら。
「名雪っ名雪……っ!」
ほかに考えられることなど何もなかった。
だが確信はある。
俺は名雪のことが好きなんだという思い。それが確信なのだ。
「どこだ、どこにいるんだ……」
足が悲鳴をあげかけていた。
それでも、探さなければならない。
名雪を。
探さなければならない。
見つけて、そして謝るんだ。
俺は今でも――
――今でも、俺は、名雪が好きだから――
そう、好きなんだ。
それが確信。
自分がどこをどういったのか、もう覚えてなどいなかった。
気がつくと駅のロータリーの前を歩いていた。
ふらふらと歩きながら、祐一はベンチに向かった。
そこは去年祐一と名雪がお互いの愛を誓い合った場所。
「いるわけないよな……」
呟きかけ、それでも期待を込めてそちらに目をやる。
頭から雪を被ってガタガタ震えていたのは、深雪ではなく、紛れもなく名雪だった。
「名雪!」
叫ぶ。
だがまともに声が出なくて、出しそこなった声が、のどを激しく痛めつけた。
そのままふらふらと名雪のいる方に歩いていく。
「……名雪……名雪なのか?」
それでもやはり信じられないといったふうに祐一は声を出した。
「……ここにくれば祐一に会えるってそう思ってた」
ベンチから立ち上がりながら名雪はそういった。
「待ってたんだよ。昨日だって祐一が帰ってくるの」
「ああ……ごめんな」
「祐一はわたしのこと、嫌いになった?」
上目遣いにいう。
「そんなことはない。俺は名雪のこと、ずっと好きなんだ」
「ほんとにわたしのこと好きなんだね?」
「ああ」
頷く。
ぱんっ!!
とたん、思いっきり名雪の手の平が飛んできた。
冷たい外気とのせいでひりひりと痛みが広がっていく。
「嘘だよ。だったらどうして、あのこと一緒にいたんだよ……?」
胸に額をこすりつけながら、名雪はうめき声とも涙声ともつかない声をあげた。
「あのこが誰なのか、香里から聞いたから……もういいけど」
「名雪……」
「もう、嫌だよ。こんなの、嫌だよ……」
「名雪……俺分かったんだ」
疑問符を浮かべながら名雪が振り仰いでくる。
「俺が名雪のこと、避けてた理由」
「…………」
「怖かったんだ。今は名雪がいてくれる。でも、いつまでもそれが続くとは限らないって……」
「祐一」
八年前のあの事件を思い出してはっとなる。
「俺は逃げてたんだ。でももう逃げないことにしたんだ」
「できるの……?」
「名雪が俺の傍にいてくれたなら出来るかもしれない」
「うん。それだったら祐一のそばにいてあげてもいいよ」
だけど……と、いってから、冷たくなった唇を温めあうようにキスをしてから、
「だけど、もし今度わたし以外の女の子のところに逃げてたら本当に許さないよ」
「ああ……」
祐一は頷いてもう一度名雪とキスをした
「お母さんが待ってるよ。祐一、帰ろう」
「ああ。帰ろう」
名雪の手を指で絡めあうように握り締めて祐一はそういった。
帰り道にあった時計屋がまだ開いていたのを目にして祐一は名雪を誘った。
「声を吹き込める奴を一つ」
それを聞いて名雪は目を丸くした。
あの目覚し時計にまた吹き込みなおすわけにはいかないだろ、というと名雪は破顔した。
家に帰り着くと珍しく秋子さんが心配そうな顔をして待っていた。
「お帰りなさい」
「ただいま〜〜」
明るい声で名雪がそう返して、二階に上がっていく。
「すみません、身勝手なことをしてしまって」
「いいんですよ。それより、祐一さん後で話があるので時間をくれませんか?」
やや穏やかではない声の秋子さんに慄きながら頷いた。
「祐一! 早く上だよ!」
「わかった」
「夕ご飯はすぐですからね」
にっこりといってリビングに引き返していく秋子さんを見送ってから、祐一は二階に急いで上がった。
おそいよ〜と頬を膨らませながら名雪がぼやく。
名雪の部屋で声を録音することにした。
「二人で声を入れるんだよ」
名雪は嬉しそうに祐一のほうを見た。
「俺は最初からそう考えていたぞ」
「わたしが先だよ♪」
胸に目覚ましを抱き寄せて名雪は祐一を見上げた。
やれやれと嘆息して頷くのを待ってから二人の間に目覚ましを置いた。
「それじゃいくよ」
ぽちっと録音ボタンを押してから、
「わたしは祐一のことが好き。どんなことがあってもわたしは祐一を裏切らない」
「俺は名雪のことが好きだ。自分の弱さに負けないように、名雪のことを好きになる」
「わたしにはもう、祐一じゃないとだめだから」
「俺の心には名雪しかいないから」
「だから、わたしたちはもう卒業するよ。二人で、一緒にいられるように」
「ずっと二人で一緒にいられるように――」
祐一がそう繰り返したところで、ぴーと音が鳴って録音が止まった。
「これでいいよね」
名雪は大事そうに目覚し時計を抱き上げた。
「ああ。これでいいんだ」
祐一は名雪を抱き寄せて、キスをした。
「祐一さん。卒業したら名雪と一緒にこの町を出て行ってください」
秋子さんの言葉は唐突だった。
「え……どういう意味です?」
「この街は呪われた街なのよ。たとえば、実体のないものが実体を持ったり……祐一さんはこれまでにそれを体験したはずよ」
「あゆや真琴のことですか」
あっさりと頷いてから、深雪ちゃんのこともね、と付け足した。
「……祐一さんは、この街ではいろんな奇跡を可能にする『鍵』を持っているんです」
「でも……」
「祐一さん。あなたが不安定になるたびに、この街がもっと不安定になってしまうんです。この街がもっと歪んでいってしまう」
もはや何も言い返せなかった。
唐突過ぎて、突拍子がなさ過ぎて、だが、秋子さんの言っていることは事実なのだと祐一には知ることが出来た。
今までのことが全てを物語っているようで――
「秋子さんはどうするんですか?」
「わたしはあの人を待っています」
きっぱりと祐一の目を見つめ返して頷いた。
もうこの街から抜け出す気はないようだった。
「あなたたちなら夢という呪われた魔法から抜け出せるわ」
祐一にそっと何かを握らせる。
手を開こうとすると、秋子さんは首を振った。
「名雪と一緒に見てください。わたしは少し疲れたので寝ますね」
「はい」
年は明け、新年。
秋子さんの計らいで祐一と名雪は同じ大学へ行くことになった。
「香里たちとは離れ離れになっちゃうね」
「そうだな……」
頷いて祐一は窓越しに過ぎ行く景色を眺めた。
二人の新居のある街を運ぶ電車。
それに揺られながら祐一は名雪の手を取った。
薬指にはめられた指輪。
「俺たちへのプレゼントか」
「うん。向こうについたら当分どたばたしそうだね」
名雪はどこか楽しそうにいってから、少し沈んだような顔をした。
「お母さん大丈夫かな?」
「多分大丈夫だろ」
祐一は気楽にそういって見せた。
だが心配は残る。あの人を待っているのだと、秋子さんはそういったのだ。
あの人というのは多分名雪の父親なのだろう。
「わたしは頑張るよ。お母さんに負けないように」
「え?」
「わたしは、頑張るよ。祐一と一緒に」
「ああ。俺も頑張ってみるよ」
頷いて名雪の手を強く握り締めた。
新居のある街は後もう少しでつきそうだった。
(END)
あとがき
おもっきり原作の無視のはいった作品ですね。
しかもオリジナルキャラが名雪よりも目立っていたし
今回はスペシャルサンクスが二人ほどいらっしゃるんですよ
まず一人目〜〜♪
月城みずきさんhttp://mizuki.obi.ne.jp/
深雪の名前を考えてくれた人です。THANKS THANKS♪
二人目は〜♪
御影(radiant)さんhttp://communities.jp.msn.com/5rfqkoke3hm8uiguc1jcbpf3m5/_whatsnew.msnw
水瀬と水無瀬のことに付いて教えてくださった人です。
おかげで、もう一つのストーリーが構築できました。Very VeryTHANKS♪
今回はほとんど人任せっぽくてダメですね〜