雪うさぎの少女たち 第2話




 目が覚めると白銀の世界だった。

 切り株の上に横たわって眠っていたらしかった。

「何やってるんだろうな……」

 考えはまだまとまっていない。堂々巡りだ。

 祐一は嘆息してあたりを見渡した。

 白銀の世界だった。

 太陽が昇ったせいで、宙を舞っていたさらさらとした雪が濡れてく煌めきが目の前で交差する。

 幻想的ではあった。

 とりあえず分かることはあった。

 今は朝であるということ。

 考えている間にここで眠っていたということ。

 眠気で思い頭で考えられるのはそこまでだった。

 だがこれで十分だ。

「深雪……?」

 半ばぼんやりとその名前を呟いて、思い出す。

 あの少女がこの場所で一晩中いたなら、ただではすまないだろう。

 慌ててあたりを探してみるけれど人影一つすらなかった。

 切り株の上で鎮座するうさぎが赤い光を放っている。

「なにをしてるのかな……?」

 背中にどこかからかうような声がかけられた

 なんとなく揚げ足を取られた気分になって少し癪に障る。

 気配だけ後ろに向けながら、

「探し物をしてるんだ」

「……探し物?」

 きょとんとした声を尻目に祐一は、身をかがめて適当に見当をつけて雪を払うしぐさをしてみせる。

「何かなくしたの?」

「ああ、どうやら俺が眠っている間になくなったらしい」

「あ――そう」

 いきなり気まずい声音になって声がくぐもった。

 おそらくこちらに背を向けたのだろう。

「えと……何がなくなったの?」

「財布だ」

 きっぱりと言い切る。

 とはいえ財布はズボンのポケットの中に入ったままだ。

「あ、あはは……そうなんだ……」

 歯切れの悪い言葉を返す深雪を怪訝に思って振り返る。

 一番最初に見えたのは紙袋だった。

 ちょうど深雪も振り返ったところらしかった。

 髪にまとわりついた粉雪が、振り返った拍子にふわりとなびいた髪の隙間から滑り落ちていく。

『あ……』

 二人の声が口から漏れた。

 お互い同じ言葉。

 なのに決定的に違うのは何故だろう……

 皮肉っぽくそんなことを思いながら祐一は上目遣いに深雪に目をやった。

「それは……?」

「あはは。たい焼き……」

「食い逃げはしていないだろうな?」

 そう重ねるように訊くと深雪はコクコクと頷いて見せた。

「よくそんな金があったな……」

 そういってしまってから違和感が胸の中を支配した。

 違和感。

 何故か深雪は冷や汗を頬に一筋させながら、

「うん。祐一さんの財布から使ったから」

 ……………………

 思わず思考を停止させる。

 違和感。

 財布から使ったということは、自分の財布の中身が減っているということだ。

 当たり前だが……

「え……? でも俺は財布を……」

 慌ててポケットの中から財布を引っ張り出す。

 財布は無事だった。中身は妙に軽いが……

「たい焼きを買ってきたんだよ」

 そんなことは分かってるって……

 反論したいのに反論する気すらうせてきていることに絶望じみたものを感じながら財布をポケットの中にねじ込んだ。

「祐一さんも食べる?」

 気分を変えたのか、いきなり笑顔でたい焼きを差し出してくる。

「食べるよ……」

 気分がささくれ立つのを感じながらも深雪から貰った――元々は祐一の金なのだが――たい焼きを頬張った。

 この味は――

 はっとなって祐一は顔を上げた。

 きょとんとした顔で深雪はこちらを見返してくる。

 つかみ所のない表情だった。だが明らかに楽しんでいる様子だけは、分かった。

「あ、これは祐一さんの思い出の味だもんね」

 にっこり微笑んでいう。

 悪意があるようにしか思えない。

「ところで……」

 探るような視線で

「見つかった? 祐一さんたちの答えは」

 見つかるわけがない。今まで眠っていたのだから……

 だが――

 深雪にいわれてはじめて、というべきなのか。

 何か決定的な何かが見え始めた気がする。

 どこかで名雪を否定してしまっていた自分のことを。

「……それはだな」

「茶化すのはNGだよ」

 茶化すような声で彼女はいって頭をふった。

「今日もどこか遊びに行こうか?」

 いきなり猫なで声に変わる。

「…………」

「とりあず商店街に行こうっ」

 半ば深雪に引きずられるようにして、祐一は商店街に降りてきていた。

 いつもの場所。見慣れた通り。

 ふと、隣に目をやる。

 ――と、ほとんど同時に、同じような動作で振り向いてきていた彼女と目があった。

 少し悪戯っぽく笑顔を浮かべると、すぐに祐一から目を逸らした。

「どこにいくんだ? 商店街をもう一周する気なのか?」

「もうすこし祐一さんがリードしてよ……」

 ぶすっとした声音でそう返してくる。

「そうだ! ゲームセンターはどうかな?」

 突然深雪が立ち止まる。

 深雪の視線の先にはゲームセンターがあった。







 店の入り口近くにあるクレーンゲーム機の前にくると立ち止まった。

 くいくいと祐一の袖を引っ張って、

「あのぬいぐるみが欲しいな……」

 ゲーム機の中にあるハムスターのような生き物のぬいぐるみがあった。

 とてもじゃないが……

(可愛くねぇ……)

 思わずポツリとうめいてしまう。

「かわいい……」

 少し陶酔したような表情を浮かべてハムスターのような生き物を見つめている。

「祐一さん、とって」

「おう! まかせとけ。こうみえてもクレーンゲームは得意なんだ」

 いつか前にもこんなこといったような気がする。

 そんなことが頭をよぎる。だが、祐一は思い違いだと決め付けて頭を振った。

 百円玉を投入してクレーンアームを操作し始めた。

 ちょうど良い具合にぬいぐるみの上に止まった。

「わぁ……」

 深雪の口から歓声が漏れた。

 クレーンがおりてアームが人形をがしっとつかむ。

 引き上げて横に動き始めたところでぬいぐるみはクレーンからぽてりと落ちた。

「あれ……?」

「……」

「もう一回!」

 ――ややあって一時間後――

「祐一さん、今日は調子が悪いんだよ。気持ちだけでいいから……」

「あともう少しで取れるから……」

 そういって百円玉を投入して、クレーンを動かす。

 今度はぬいぐるみを通り過ぎた。

「しまった!」

 舌打ちした。

 だが、アームは一番下まで降りてしまっていた。

「はぁ……」

 溜息をついてゲーム機から視線を外したとたん、深雪が歓声を上げた。

「祐一さん、ぬいぐるみ!」

 慌てて振り向くと、綿のようなものが運ばれているところだった。

 ゲーム機から出てきた人形を胸に抱いて、

「なんか悪いことしちゃったね……」

「今日は調子が悪かっただけだし気にするな」

(取ることに夢中になって調子に乗ったのも俺が悪いっていうのもあるしな)

 胸のうちでそう呟く。

「えっと、ありがとう……」

 笑顔で深雪はそういってぬいぐるみを抱きなおした。

 何の因果なのかは分からないが……

 それは雪うさぎのぬいぐるみだった。







 ちょうどその頃、商店街を歩いていた二人の少女がいた。

 名雪と香里である。

「また喧嘩したの?」

「うん。今回はわたしも悪かったとは思ってるけど、なんか祐一避けてるみたいだったから」

「避けてる?」

 香里は怪訝そうな顔をした。

 学校でいる時の二人はとてもそうは見えなかったからだ。

「二人になるとね……なんか避けるんだよ。わたしのこと」

「そう……」

 思慮深げに頷く親友の顔をみながら、名雪は溜息をついた。

 どうして祐一と気持ちが分かりあえないんだろう。どうして祐一はわたしのこと分かってくれないんだろう。

 心の中で自分が表に出したくない気持ちでいっぱいになってくる。

「相沢君と付き合い始めて名雪は変わったわね」

「……?」

 唐突に、香里は別なことを言い出した。

「一番変わったのが睡魔に襲われなくなったこと」

「あ……」

「相沢君が傍にいてくれるようになったから、名雪はもう逃げる必要が無くなったのよね」

「……逃げる」

 ぼんやりと、胸の中で香里の言葉を繰り返した。

 逃げる。

「けど……っ!」

 食ってかかるように香里に詰め寄って名雪はまくし立てた。

「祐一はわたしのこと分かってくれない……」

「名雪は相沢君のこと、本当に分かってるの?」

 そういわれると、なにも言い返せなかった。

「けど……けど……!」

 口の中で言葉にならない何かを繰り返す名雪を見て香里は首を振った。

「相手のことをわかってあげようとせずに、自分のことだけわかって欲しいっていうのはただのエゴよ」

 きっぱりと香里にいわれて名雪は完全にうつむいてしまった。

 エゴなのだろうか?

 エゴなのかもしれない。

 だけど分かって欲しい。

 この思いが、祐一を分かってやりたいという思いよりも大きいのだろうか?

 多分、大きいのだろう。祐一に分かって欲しい。

 自分自身を。

 だけど、祐一はどこか煙たがるように避ける。

「わたしは……」

「ゆっくり考えた方がいいわね。本気で相沢君のことが好きなら、ちゃんとした答えを見つけるべきよ」

「うん、ありがとう」

 頷く、礼をいう。

 だけど腹の中ではそうではなかった。

 そんな自分をどこか冷静に見ている自分がいて、哀れんでいるような錯覚に陥りかかったときに、隣を歩いていた香里が足を止めた。

「――相沢君?」

「えっ!?」

 思わず反応してしまう。

 どこにいるのだろう。丸一日以上行方をくらまして、昨晩だって家に帰ってこなかったのだ。

 あの時もまだ怒って頭にきていたのは確かだ。だけど、祐一を心配してたんだ。人に心配をかけさせたんだから――

 そこで思考が停止する。

 ゲームセンター。

 クレーンゲーム。

 人形。

 楽しそうに笑いあってる、一組の男女。

「……た、他人の空似だよ」

 じりっと名雪が後退するのを見て、香里は自分の失態に気がついた。だけど、もう遅すぎる。

「祐一じゃない……絶対祐一なんかじゃない!」

 ヒステリー気味に叫んで名雪は駆け出した。

「名雪!」

 祐一じゃない……あんなの絶対に祐一じゃない。今でも、他の女の子とデートなんか絶対にしないって信じてる。だから祐一じゃないんだ!

 ――だけど、あれは祐一なんだ――

「名雪!」

 香里の呼びかけに耳を背けたまま、名雪をその場を走り去ってしまった。







「あ……」

 ぬいぐるみを胸にしたまま、深雪はびくりと体を震わせた。

「どうした?」

 深雪のいきなりの変化に祐一は戸惑った。

 少し怯えた表情を浮かべている。

 何に怯えているのだろうか?

 そう思った瞬間、ゲームセンターの自動ドアが開いた。

後編に続く......
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